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■MONKICHI WORLD■

短編小説
【1】川
【2】夏の北国
ここにいない僕


雑草が生い茂りゴミ捨て場と化した川。
全てを見下し達観した気分に浸る私。
そして出会った一匹の犬との心の会話。
無意味な感情が加速する、もん吉ワールドへいざ行かん!!

なるほど。こんな景色なのか。納得するも根拠は無い。
漠然とそんな感覚がよぎり、頭に浮かんだ誰も知るよしもない私だけの感覚、感想が、声という公共的な道具に変化し、無意識に口をついただけだ。
かと言って周りに私以外の誰かがいる訳でもなく、公共的な道具はその役目を果たせぬまま弱い南風に流されていった。
どこがとは言えぬが確かに想像とは違う景色の中に立っている。何をするでもなくただただ立っている。見慣れた景色が、毎日通る道が、高いところに見える。あの道を通りながら、いつかはあそこに下りてやろう、と思い続けて早5年。ついにその日を迎え今こうして立っている。
川沿いを走る道にガードレールは無く、5メートル程下に幅30メートル余りの川が流れているのだが、川と言っても水が流れているのは中央のわずかな部分だけで、その両側は雑草達が生き生きと成長を続けており、所々に点々とビニール袋や空缶といった、いわゆるゴミの類に属する生活の残骸、色あせた巨大なカエルのぬいぐるみ等が落ちている以外は何も見当たらない。



一体どれだけの人間がこの場所を「川」と認識しているのであろうか。哀れな川よ。人々の心に安らぎを与えたいと願っているだろう。それがどうだ。ゴミ捨て場としか思われていないではないか。人々は心のオアシスよりも、不要なものを捨てられる巨大なゴミ捨て場の方が便利で有難いとでも思っているのだろうか。
しかし、かく言う私もこの場所に「川」は感じられない。ゴミ捨て場などと思うのは意に反するのだが、反論する余地も無い程至る所にゴミは点在している。上から見るとそれ程わからなかったのだが、雑草を掻き分けると出るわ出るわ地面が見えない程である。
心無しか雑草達が、荒んだ人間達の見方でもするかの如く証拠隠滅を企てているようにも思われる。雑草達め。なぜこんなに元気に育つのだ。枯れる気配など微塵にも感じられない。それどころか、これからが草生真っ盛りと言わんばかりに意気揚々としている。いかに成長するかという事しか楽しみがないのだろう。川に対する気持ちとは明らかに違うが、雑草もまた哀れなり。どれほど血気盛んな草と言えども、いずれは枯れる、或いは刈られる運命にあるというのに、何を生き急いでいるのだ。成長して立派な雑草になった所で雑草は雑草。哀れは哀れ。
などと雑草達を見下していると、腕にむずむずとした感覚。
ふと見ると左腕に蚊が一匹刺さっている。



本来ならすぐさま叩き潰すところだが、何やら悟りを開いたような錯覚に陥っている今の私の心は瀬戸内海のように広い。
さぁ、思う存分吸いなさい。どんなに腹いっぱい吸ったところで知れたもの。雀の涙、いや、それにも満たない血液を抜かれたところで私の健康状態に支障は無いが、君にしてみれば死活問題であろう。私の微量な血液が君の尊い命を救うのなら、吸って吸って吸いまくりなさい。
10秒後、私の右の手のひらには微量の血液と、無残にも変り果てた蚊の姿。
あぁ。瀬戸内海の広さも痒さには勝てぬのか。これからは東シナ海を目指そう。うん。東シナ海。新たな目標が決まったところで私はゴミ捨て場、或いは雑草天国と化した川を後にする。

コンクリート製のブロックが規則的に積まれた堰堤を這うように上る。途中三度ばかり足を滑らすも無事見慣れた風景に到達。ほんの数分ぶりの景色なのだが妙に懐かしい気持ちがするのはなぜだろう。
まさか私が川に降りて悟りを開いた気分に浸っている間に上の世界では何年もの歳月が流れていた訳ではあるまいに。
その証拠に、川に降りる直前に見た荒んだ人間が住む荒んだ家に干されていた荒んだ布団が、今も変わらず荒んだままだ。なんて事を考えている今も、上の世界に戻っているのは上半身だけで、腰から下はまだ上陸していない。足を堰提のつなぎ目にかけたまま辺りを見回すと右斜め前方からモソモソと犬。地面から上半身だけ見える私の存在に気付き警戒しているのであろう、10メートル程前方で立ち止まり耳を左右に倒し、目を合わせないように、それでいてチラチラとこちらを気にしながらモソモソしている。



私は彼の警戒を取り去るべく、静かに完全上陸を果たし、地面に膝を着いて口笛を吹いてみた。
10メートル前方でモソモソしていた犬は、警戒がほぐれたのか徐々に私との距離を縮め、最終的には私の膝に体を接触させてモソモソしている。



君はなぜそんなにモソモソしているんだい、何か悩み事でもあるのかい。
もちろん言葉として発した訳ではなく、心の中で問いかけてみた。
実は幼い時分にご主人様の息子さんから数々の虐待を受けまして、挙句この川に捨てられたのです。結局僕は息子さんの数あるオモチャの1つでしかなく、飽きて不要になったらゴミ扱いです。ほら、あそこ、僕と一緒に捨てられたカエルのぬいぐるみ「ケコタン」が見えるでしょう。孤独な生活を送ることを余儀なくされた今、寂しくなるとこうしてケコタンに会いに来るのです。
犬は波乱万丈な半生の複雑な胸の内を、心の声で私に打ち明けた。ような気がしたのだが、先程から私のズボンのポケットの匂いを夢中で嗅ぐ姿を見るに、おそらく気のせいだろう。
ところで犬よ、そこまでに夢中になるほどポケットが気になるのか。何気なくポケットを探ってみた。なるほど、これか。いつから入っていたのだろう、ミント味のガムが1枚。欲しいのか?しかしながらガムを、しかもミント味を好む犬など聞いた事もない。いいだろう、1枚しか残っていないが私は瀬戸内海、いや、東シナ海の身。遠慮なく食べるがよい。包み紙を開けてやると、ありがとう、と聞こえたような気がしたがこれも気のせいだろう。
ガムシャラにガムを噛む犬。
それを眺める私。
視線は犬に固定したままガムの包み紙を川に投げ捨てる。
南風は東風に変わった。
ほんの数分ぶりなのに妙に懐かしい雑草達の匂い。ケコタンの匂い。

挿し絵:入倉もん吉


夏の北国
トンネルを抜けると雪国。だったら風情もあるのだが、季節は8月。いかな北国と言えども雪景色は期待できぬのであり、雪に代わる北国ならではの景色、つまり第二候補として何を期待すべきか悩んでいる。
しかしながらいざ考え始めると、私の中に広がる北国のイメージは片寄っており、例えば耳当あてを装備した無骨な帽子をかぶり雪掻きに専念するおじさん。雪に掘られた穴からひょっこりと愛くるしい顔を覗かせるキタキツネ、或いは野ウサギ。かまくらと称される雪で作られた簡易住居の中で餅などを焼くかすり模様の半天を着た頬の赤い童達。
このように蓄積されたイメージ全てが雪景色を基盤に構成されており、冬以外の季節に於ける北国、つまりこれから私が遭遇するであろう景色、情景は何一つとしてインプットされていないのだ。参った。こんな事なら予習をしてくるべきだった。家からほんの5分も歩けば書店があるのだから、そこに行けば「初心者の為の北国」または「マンガで覚える北国」或いは「北国初歩の初歩」などといった専門書が並んでいたかも知れぬというのに。いや、この期に及んで後悔しても埒があかぬ。なんとなれば過去を振り返りあれこれ後悔している間に、期待すべき景色も浮かばぬまま電車はトンネルを抜けてしまい、初めての北国旅行に於ける最初の楽しみが消されてしまうからで、これは例えるなら、なぞなぞで問題を出された直後に間髪入れずに答えを教えられるような状況に匹敵し、楽しさもへったくれもないのである。自分なりに想像した夏の北国の景色と、実際の夏の北国の景色。そのギャップを楽しむ事が、見知らぬ地に赴く上での最初の楽しみなのだ。私は過去の思いを断ち切り、脳味噌をリセットした。
しかしながら雪解け間近の春の北国はおぼろげながら浮かんでくるものの、夏の北国は一向に浮かばぬのであり、苛立ってきた私はとりあえず「北国」というイメージを取り払い、「夏」という季節そのものを連想して、その中から北国のイメージと懸け離れたものを消してゆく、いわゆるところの「消去法」を試みる事にした。
私の脳味噌にインプットされている夏、それは暑く、海に出かけ紫外線で肌を小麦色に焼き、砂浜でスイカ割り大会などを催しきゃあきゃあと盛り上がる若い男女。または、飛び交う蚊に悩まされながらも捕虫網をぶんぶんと振り回し、セミやカブト虫を採集せんとはしゃぎまわる小学生。浴衣姿で花火大会や盆踊り大会に赴き、日頃のストレスを発散するべくテンションを上げ、年甲斐もなく浮かれているOL或いは主婦。
これらのイメージから北国らしくないものを消去すると、結果、残るものは何も無く、再び脳味噌をリセットするのであり、何とも言えぬ感情が込み上げてくるばかりである。
しかしここで投げやりになっては元も子もない。仮に再び北国を訪れる機会があったとしても、それは「初めての北国」にあらず。これから目のあたりにするであろう初めての景色から与えられる感動は本日のみ有効だからである。冷静に次の方法を考えるとしよう。
私は連結部分に程近い場所に設置された清涼飲料水の自動販売機まで歩き、コーヒーを購入し席に戻った。すると、あろう事か先程まで私が座っていた座席、もちろん指定席なのだが、見知らぬ老婆が腰をおろしているではないか。今一度座席ナンバーを確認。間違いない。そうか、先程まで私は二人掛けの座席に自分以外の者がいないものだから空席であると思い込み、靴を脱ぎ座席に対して横向きに座るなど、横柄な態度をとっていたのだが、この老婆の席だったのか。しかし電車が出発してから3時間以上は経っているというのに何故今ごろ現われるのだ。もしや気の小さい老婆は、横柄な態度であれこれ考えていた私に「どいてください」の一言が言えず、私が席を立つ瞬間をもの陰で3時間余も待ち続けていたのか。そんな事とはつゆ知らず私は老婆に精神的及び肉体的苦痛を与えてしまった。私はそそくさと老婆に近付き、自分の行動を詫びるべく可能な限りの低姿勢をとったのだが、低姿勢にも程があり、度を超して突き出しすぎた尻が通路を挟んで反対側でくつろいでいた老紳士の肘をつついてしまった為、あわてて少しだけ体勢を戻し、百八十度向きを変えてまずは老紳士に無礼を詫びた。そのやりとりに気付いたのか老婆が顔をあげたので、再度百八十度向きを変え、今度は老紳士の肘までの距離を計算しつつ、度を超さない程度に腰を低くして言った。
「おばあちゃんの席を占領してしまってすいません。電車が動き出しても誰も来なかったものだから空いているものと思い込んでしまったんです。すいませんでした。」
老婆は私が謝る理由が把握できていないような面持ちできょとんとしていたが、すぐに満面の笑顔を浮かべこう言った。
「あなたが何について頭を下げてくれているのかわからないけど、とにかくお掛けなさいよ。ここはあなたの席でしょ。」
なんと感じの良い人なのだろう。見た目から察するに70代後半、もしくは80代前半といったところであろうか、上品な雰囲気漂う白髪の老婆は、前が見えているのか心配になる程に目を細めて私に着席を促した。恐縮しながらも言われるままに腰を下ろす私に老婆は続けた。
「あなたはよくこの電車を利用するの?」
「いいえ、今日が初めてです。」
「あら、そうなの?今日は旅行?仕事?」
「旅行という訳ではないんですが、ちょっと北国に行きたくなりまして。」
「そうね。夏の北国は素晴らしいものねぇ。」
そうなのか。夏の北国はやはり素晴らしいのか。私にはどのような所が素晴らしいのかわからないのであるが、北国の素晴らしさを知らないという事実を知られる事が恥ずかしく思えて
「そうですね。最高ですよね」
なんて言っている。ここで
「あなたは夏の北国のどんな所が好きなの?」
なんて聞かれたら急激な腹痛を装いトイレに駆け込まざるを得ないのだが、幸運にも老婆は私の
「最高ですよね」
に笑顔でうなづくにとどまり、
「ここであったのも何かの縁だわね。」
などと言いながらガザゴソと紙袋を探って、缶コーヒーを差し出した。私はつい先程購入し右手に握っていた缶コーヒーを何気なくポケットに隠し、礼を言ってから缶コーヒーを受け取り、しばらくの間老婆と他愛のない会話を交わしていたのであるが、他愛のない内容であるにもかかわらず、老婆の表情は実に活き活きとしており、心の底から会話を楽しんでいる様子がうかがえた。なんという暖かい気分なのだろう。これまでにも会話によりわくわくしたり楽しい気分になったりした事は数多くあるのだが、それらは全て会話の内容によるものであり、この様に他愛のない内容の会話でこれ程までに暖かい気持ちになったのは初めてである。
しかし心のどこかで未だ気にかかっている事がある。それはつまり「夏の北国」であり、老婆との他愛ない会話は続けていたいのだがトンネルの出口は着実に近づいている訳で、それまでにどうしても自分なりの夏の北国をイメージしておく必要があるのだ。今この瞬間の感情に流され、老婆と楽しいひとときを過ごしていると、取り返しのつかない結果を招き、私は死ぬまで今日の事を悔やみ続けながら生きて行くだろう。悩む。
このまま老婆と会話を続けながら頭の中では北国について考える事ができれば、老婆の気持ちを踏みにじることもなく、且つ私自信も後悔をせずに済むのだが、幼い頃から気が散り易く同時に二つ以上の行動ができない性分の私にはまず不可能な話であり、試しに実行してみたのだが頭の中は真っ白、老婆との会話はぎこちなくなるばかりで、正に「二兎を追う者は一兎を得ず」状態に陥りすぐに断念した。
となれば残る方法は二つ、トイレに行く等して場所を変える、或いは老婆に事の経緯を正直に伝え、半ば強引に会話を中断するという方法である。しかし実力行使とも言える残酷な措置を取る事により老婆に対しての罪悪感が私の中で大きく膨らみ、その事ばかりが気になってやはり考え事ができる状態にはならないので、 この案は却下。もう一つは、会話を続けながら老婆からそれとなくヒントを引き出す、つまり、老婆に夏の北国の素晴らしさを語らせ、その発言の内容はもちろん、老婆の表情や興奮度から自分なりの解釈で情景を想像する方法。これならば老婆との会話は更に弾み、私の想像力も掻き立てられ一石二鳥である。
「おばあちゃんはなぜ北国に行くんですか?」
早速作戦を実行に移した。
「孫が北国に住んでるのよ。だから月に一度はこの電車に乗って孫の顔を見に行くの。」
「へぇー、お孫さんはいくつなんですか?」
「小学校二年生よ。あ、そうそう・・・」
と言って老婆は再び紙袋を探り、ややあって一通の手紙を取り出した。
「孫は度々こうやって手紙をくれるのよ。」
老婆は嬉しそうに目を細め、手紙を私に差し出した。
雪ダルマが二手に別れ雪合戦をしているいかにも北国らしいイラストがプリントされた便箋には、不規則に並んだ大小の文字が書かれている。何気なく目を通すと少々気になる一節があった。
「きのうはあつかったからみんなでレンベラをやったよ。とてもたのしかった。」
はて?レンベラとは一体何の事だ?更に読み進めたのだがレンベラについて記載されているのはその一節のみ、最後は
「またあそびにきてね。いけがわたかしより」
と書かれて躍動感あふれる大小の文字は終わっていた。しかし更にその下に、おそらく母親であろう、達筆な文字が書き加えられている。内容はこうだ。
「暑い日が続いていますがおかわりありませんか?貴志の小学校も夏休みに入り、毎日おばあちゃんと遊ぶ事を楽しみにしています。こちらではお盆に行われるレンベラ大会の影響で、町中がレンベラ一色です。貴志も毎日練習してるんですよ。是非おばあちゃんも季節の風物詩「レンベラ」を見に来てください。追伸、今が旬のトウトコも今年は大豊作です。たくさんのトウトコ料理を作ってお待ちしております。」
はてはてはてはてはてはて?さっぱり意味がわからない。「大会」、「練習」、「季節の風物詩」などの文面から推測するに、どうやらレンベラとは夏の間だけ行われる何かの競技の名称ではないだろうか。それも、町をあげての大会が行われ、孫の貴志くんも参加するという事から、老若男女誰でも参加できる、比較的簡単でそれでいて奥が深い競技だと思われる。私達にはなじみの薄い、夏の北国の特色をいかした楽しい競技なのであろう。夏の北国に対する期待感いや増す。
しかし、レンベラの輪郭がうっすらではあるが浮かんできたのと同時に、新たな謎も浮上。「トウトコ」である。北国の海の幸なのか?いや、手紙には
「今年は大豊作です。」
と書かれているので、農作物の類であろう。じっくりと漬け込んだトウトコの漬物、カラっと揚げたトウトコの天ぷら、トウトコサラダやトウトコ汁なんてのもありそうだ。私はトウトコなる得体の知れない農作物が無性に食べたくなった。考えてみれば、この電車に乗る2時間程前に、コンビニエンスストアで購入したクリームパンを1つ食べたきり何も食していない。腹が減るのも当然である。早く北国に降り立ち、トウトコ料理に舌鼓を打ちたいものである。いや、ちょっと待て。今はトウトコの事など考えている場合ではなかった。景色だ。夏の北国の景色を想像するのだ。我に帰った私は手紙を折りたたみ、便箋と同じイラストが書かれた封筒にそれを押し込んで
「どうも」
なんて言いながら老婆に返した。しかし老婆は受けとろうとしない。前傾姿勢になり顔を覗きこんでみたのだが、老婆は目を閉じ下を向いたままピクリとも動かない。ポンポンと肩を軽く叩いてみても、まるで反応がないのである。
「まさかっ!!」
・・・お昼寝の時間らしい。永遠の眠りではない事にホッと胸を撫で下ろしたが、夏の北国に関する情報を聞き出す手だては断たれてしまった。まぁいいだろう。誰にも頼る事なく、自分独りの力で努力した方が目的を達成した時の感動は大きいはず。気持ちを新たに夏の北国を考えなおそう。
と、心に決めた所で私は目を覚ました。なんという事だ。眠っていたのか?今までの出来事は全て夢だったのか?慌てて周囲を見回す。間違いなく電車に乗っている。隣には老婆も眠っている。ポケットを探ると缶コーヒーも確かにある。私はいつから眠りについてしまったのだ?どこまでが現実なのだ?レンベラは?トウトコは?窓の外は相変わらず暗く何も見えない。
トンネルはどこまで続くのだろう。


ここにいない僕
僕はなぜ今ここにいないんだろう。
ここにいればいいのに。
僕が今ここにいない事に気付いているのに、
なぜ僕はここに来ないんだろう。
ここに来ればいいのに。
みんなは僕がここにいない事に気付いているんだろうか。
ここに僕がいればいいと思うのは僕だけなんだろうか。
どうしてここにいない僕が、ここの楽しさを知っているんだろう。
いや、知らないから僕はここに来ないんだろう。
ここにくれば楽しく過ごせる事を知ったら
僕はここに来たがるだろうなぁ。
ここにいない僕は何処にいるんだろう。


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